
imacocoの自慢
「奥尻ゲストハウスimacocoの自慢、魅力は何ですか?」
その質問に対して僕は、
「最高のゲスト、最高のスタッフ、最高の家族がいること」と即答します。
ということで、2025年7月に奥尻島神威脇地区に移住してくれた二代目アシスタントの自慢をさせてください。笑
以下、移住した本人からの言葉を転載します。
「夢の国」から「夢の国」へ

はじめまして、明晏(あくあ)です!
この度、2代目imacocoアシスタントを務めることになりました。
初代スーパーアシスタントももちゃんの後輩です!
海に囲まれた奥尻島とは真逆の、海なし栃木県出身。
一面、田畑が広がる場所で育ちました。
東京の大学を卒業後、幼い頃から夢見ていた場所で2年ちょっと勤務し、現在に至ります。
奥尻島を初めて訪れたのは、約3年前。
大学4年生の夏、村おこしNPO法人ECOFFの活動に参加したことがきっかけです。

大学在籍中の3年以上がコロナ禍、通学は週1回のゼミの授業だけで、サークル活動もオンラインでの実施。中学1年生のときに初めて海外へ行き、大学生になったら長期間海外へ行こうと考えていました。留学もしたいし、旅もしてみたい、とにかく日本から離れていろんな人たちと出逢い、知らない世界を見てみたい。そんな考えをよそに、行動制限があった時代でした。
そこで、今、自分がいる日本でできることはないかを探し、偶然辿り着いたのがECOFFの活動です。ホームページに記載されていた様々な離島の受け入れ先。その中にあった奥尻ブルーの海とimacocoでの活動写真を見て、自分はこの場所に呼ばれていると直感的に感じました。

コロナの影響もあり、まさに「今、此処」を意識するようになったのかもしれません。

日本各地から集まった初対面の10人の仲間たちと、10日間に渡って衣食住を共にする経験は、都会で一人暮らしをしていた自分にとって心動かされる出来事の連続。気づけば人生の分岐点となっていました。

家族のような人たちと出逢い、何気ない日常が一番の幸せであると気づき、自分が生きている環境への有り難さを感じ、目の前にある当たり前の生活がかけがえのない特別なものであると学びました。
活動終了後、心の中で思ったことがあります。"いつか自分は奥尻で、神威脇で、生きていくんだろうな"ということ。ECOFFの活動に参加を決めたときと同じように、なんとなくではあるものの、先が見えていた気がします。
何年後になるかわからないけれど、自然の流れに身を任せていれば、いつかその時はやってくる。それまでは、今の環境で出来ることを全力で取り組み、その時に備えておこう。そう思いながら、社会人生活をスタートさせました。

話が少し変わりますが、書き出しにあるように、移住する直前まで、幼い頃から夢見ていた憧れの地で勤務をしていました。世間では、『夢の国』と呼ばれている場所です。
小学生の頃、必ずあの場所で働くと決め、高校・大学と進学先を全て逆算し、どんなことをしたら就職できるだろうか、そのことしか考えていませんでした。ご縁もあり、『夢の国』に携わる会社に新卒社員として採用していただけることに。
夢を実現する見切りがつき、次はどこへ向かって進もうかと考えていた矢先、出逢ったのが奥尻島です。ただ一点に向かって走り続け、他には目もくれなかった私が、心から幸せを感じられる場所、穏やかに過ごせる場所を発見。こんな場所で生きてみたいと感じたのは初めての経験でした。
社会人になってからも春・夏の1年に2回、島を訪れることが恒例となり、神威脇地区から外に出たりせず、imacocoファミリーと日常を過ごすだけの『帰省』をするようになりました。

毎回、「おかえり〜!」のハグで出迎え、「いってらっしゃ〜い!」のハグで送り出し。これでもかというほどの愛を受け取り、心も身体もエネルギー満タンにして出発。imacocoを離れるときは寂しさで常に泣いていました。
(実は、帰省が二桁にならないうちに移住できないか密かに考えていました。9回目の奥尻で移住。自分の予想通りになりました笑)
移住の決定打となったのは、imacocoファミリーと約束した『夢の国へのご招待』。
いつかの帰省中に、オーナーのゆうとさん家で交わした何気ない会話が事の始まりです。
「私、みんなを夢の国に招待できたら、奥尻に来ようかなと思ってます。」
「そしたら、近々東京へ行くから、案内してよ!」
ゆうとさんが思い立ったらすぐ行動する方であるのは知っていましたが、凄まじい早さ。何年後になるかな、子どもたちが中学生になる前には…と考えていた自分の想像をはるかに超えるスピード感でした。
自分から言い出したからこそ、口約束では終わらせないと決め、imacocoファミリーが東京へ来た昨年11月、2日間に渡って夢の国をご案内。約束を果たしました。待ち望んだ日は、両日まさかの雨。みんなでずぶ濡れになり、寒さで震え続けましたが、それでも待ち時間でさえ楽しかったです笑


これで、心置きなく奥尻に行けると気持ちが一区切りし、その時が来るのを待っていました。
約束を果たした直後、ゆうとさんから 2025年度には奥尻に住んでいるということを前提に、imacocoアシスタントポジションに関して連絡がありました。
私にとっては、この上なく有り難いお話。
大好きな場所で大好きな人たちに囲まれて生活ができる喜び。一方で、私にお仕事が務まるのかという不安。全部まとめて直接思いを伝えに行こうと、恒例の帰省とは別に今年の3月上旬、imacocoを訪問しました。
「明晏なら大丈夫、な〜んも心配することないよ。」と、全てを受け入れてもらえた優しさに、嬉しさのあまり涙が出そうでした。
ただ、そこにいるだけで、呼吸をしているだけで、生きているだけで幸せ。
特別なことは何もせず、賑やかな笑い声を聞き、大好きな人たちとおしゃべりをし、愛おしい子どもたちと手を繋いで神威脇温泉にのんびり歩いて行く。みんなで食卓を囲んでご飯を食べ、ギターの音色と歌声に癒される。
そんなことがあったら、これ以上ない贅沢だと心から思えるのが奥尻島。
私にとっての『夢の国』はきっとこの場所です。
今、この瞬間を大切な人たちと生きたいと思い、imacocoのアシスタントを務め始めました。
いつまでと期限は決めておらず、時の流れに身を任せようと考えています。
これまで出逢いに恵まれて生きてきたからこそ、今後、imacocoでたくさんの方々と出逢えることをとても楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いします!

以上、明晏からの言葉でした。
ご縁こそ財産

実は、imacocoはアシスタントを募集したことは一度もありません。
不思議なご縁、自然な流れから、気付いたら側に最高のアシスタントという名の家族がいてくれています。本当に有り難いこと、感謝しかありません。
もし、僕が目先の損得勘定で動いていたら、ECOFFをやっていないから出会えていない。
我慢を強いられたコロナがなければ出会えていなかった。
出会えたとしても、お互い手を抜いて過ごしていたら、今のような関係性にはなっていなかったはず。
やっぱり目の前の出来事が「良いか悪いか」なんて「その時」はわからない。
何が起きても「ラッキー、有難う」そう受けとって、今自分にできることを精一杯やる。
その先に、誰も予想していない物語がちゃんと用意されている。
そんなことを、あらゆる奇跡を通して学んでいます。
ちなみに明晏は大学の卒業論文を『技能実習生について』書き進めていたところ、ECOFFで十日間過ごした直後に、卒論のテーマをガラッと変えて『奥尻島について』書き上げてしまうほどの奥尻愛を持っています。笑
ぜひ、imacocoにお越しの際は、明晏の魅力をたっぷり感じていってくださいね。
何でもピュアに真っ直ぐ、一生懸命に、損得勘定抜きに、目の前の人に全力投球する姿を、僕たちも日々学ばせていただきたいと思っています!
「夢の国」にいた明晏が「夢の国」と豪語する奥尻島神威脇地区で、
二代目アシスタントと共にお待ちしています。
最後までお読みいただき、有難うございました。
P.S.「人生史上最大のサプライズ」を企画してくれた中心人物も明晏でした。