家族って血のつながりだけじゃない。と、心から思わせてくれたももちゃんが、新天地へ旅立ちました。奥尻島、神威脇に3年間住んだ一人として、その想いを綴ってもらいました。彼女の奥尻ライフはどんなものだったのでしょうか。(僕は涙なしには読めないです・・・)

アシスタントになるまでの物語はこちら

ももちゃんからの言葉

2022年6月から2025年3月末まで、イマココのアシスタントを勤めましたももこです。

まず始めに、この3年間で出会った皆さま、一緒に奥尻の自然で遊んでくれた皆さま、沢山の思い出をありがとうございました。

新緑の中ブナ林を歩いたり
キラッキラの真夏の奥尻ブルーの上で遊んだり
土砂崩れの道路封鎖の中、ご飯作ってみんなで乗り切ったり
真っ赤に染まる夕空を見上げたり

どの時間もどの体験も同じことをしたとしても全く同じにはならないし、お金では買えないかけがえのない財産となりました。

はじめまして、とゆうブログを書かせて頂いてから、はや3年。この3年は、人生の中で一番早かったと言い切れる程のスピードでした。
たまたま旅行で訪れた奥尻島。そこで働かせて頂くことになるきっかけのオーナーの一言から、数年後の別れの時こんなにも離れたくない、まだ居たいと思い、涙が止まらなくなることになろうとは想像もしていませんでした。

豊かで濃密だった奥尻ライフを振り返ろうと思います。

まず、3年住んでみて、奥尻島のイメージは旅行で来た時と何も変わりませんでした。
島なので、観光と居住では感じ方が違うのは当たり前。が大前提ですが、それでも変わりませんでした。一言でいうと、島民の皆さんと自然が「あたたかい島」です。(夏は暑〜い島です…笑)

「〜すればいいしょ」「な〜んもだよ」「ありがとねぇ〜」
語尾がこの通り優しくて可愛くて、とゆうのもありますが、いろんな島民の方々が気にかけて沢山声をかけてくださいました。

私の方が知らなくても、「外崎さんところで働いてる子でしょ?確か、ももちゃん?」と何度言われたことか。知ってくれてるんだ、知られているんだ、尚更きちんと生活しないと、と思ったのを覚えています。

スタッフである私がこう声をかけられるようになるまで、移住者であるオーナーご夫婦がどれだけ時間をかけて関係性を築き、この島でみなさんから信頼されているのかということを感じたからです。

また、"太陽と月のサイクルを感じる生活"を久しぶりに体験し、やっぱり私はこれが大好きだと思いました。
これがあれば他には何もいらない、くらいに。

毎日同じ時間の流れの中に生活していると、当たり前のことが当たり前に起こるんです。
たとえば、陽が沈むと体のスイッチが切り替わりちゃんと眠くなるんです。何もしなくても。
え〜そんなこと?と思われるかもしれませんが、これがどれだけ心地いいことか。
体にとって、とても優しいことであり、島の人がご長寿で健康でいられる秘訣なんだと思います。

奥尻に来る前は21:00まで働き、家に帰るのが23:30。就寝は26:00頃。仕事は楽しかったですし、やりたかったことなので全く嫌ではなかったですが、ONとOFFを自分で切り替えないといけないことは辛かったなと思います。
それを島では沈んでいく太陽と、代わりに出てくるお月さまが切り替えてくれるのは最高の贅沢でした。

あと、おもしろいと思ったことがひとつ。道外出身で生活の中に常に雪の存在があることに慣れていない私にとって、北海道で働くとゆうことがどうゆうことかを知れて、それも新たな経験で嬉しかったです。
3月、雪が溶け始めると人々も動き出し、12月雪が降り始めると人々は家に籠る。簡単に言うと一年が2シーズンに分かれているとゆうことです。
一年を通してまんべんなく働く、それもいいですがこの2シーズン制が私には合っていました。
冬は寒さやあらゆるものに耐えて、春になると雪解けとともに動き出す。冬の太陽とは違い、ポカポカした太陽に数ヶ月ぶりに会うと「うわぁ〜ひさしぶり〜!」と叫びたくなるほど嬉しい気持ちになります。

春のありがたみを知るということを身をもって体感しました。
この感じがまた、私の大好きな「生きてるぅ〜!」と思うやつでした。

それにしても、西海岸、我らが神威脇の寒いこと寒いこと…寒いの概念がひっくり返りました笑
寒かったです。本当に。…これ以上の言葉が出ません笑

そんな雪解けのあと、島を自転車で一周する自分の中での恒例行事はとっても大好きなことのひとつでした。

ポカポカ太陽が続くと芽吹き、美しい葉をつけ、魅力的な花を咲かせる草木。
他の植物のことも考え時には咲く場所を譲ったり、順番待ちをし、いつしか今だ!というときに自分の子孫を残す。
一方で自然の摂理を無視し自分の気持ちや相手の気持ちを無視し、物事を決行できるのは人間。
自然界はこんなにも優しく美しいサイクルを持っているのに、どうしてそこに生きている人間はこんなにも自分勝手な生き物なんだろう。
その自然がなければ息もできないのに。

とそんなことを考えながら春の海風を浴びながらサイクリングするのが大好きでした。

この島は何もない、そう言われることが多いように思いますが、私にとっては全部ありました。こんなにも普段の生活の中に大切なものに気づかせてもらうヒントが散りばめられているなんて、どれだけ幸せなことだったか。最高に豊かな島、奥尻島でした。

今まで何度も何度も人生の分かれ道を選択し、その都度別れを経験してきました。
今回、奥尻島を離れるとき、フェリーに乗ってどんどん小さくなっていく島影を見ながらお世話になった方々、外崎ファミリー、大好きな大好きな大好きな神威脇地区のじいちゃんばあちゃん、みんなの顔が順番に浮かんできました。一人ひとりはっきりと浮かんできました。

これは初めての経験で、みんなの声まで浮かんでくるんです。
全員とした握手の感覚まで鮮明に思い起こされました。

こんなにも後ろを振り返りたくなる、足を止めたくなる別れは初めてでした。
もっともっとここに居たいって気持ちが溢れてて仕方ありませんでした。
一度の人生でここまで気持ちが揺さぶられることはこの先あるのでしょうか。

でも、みんなが揃って言ってくれた「またすぐに帰ってくるしょ。気をつけんだよ、いってらっしゃい」
この簡単だけど深い深い愛情のある言葉とみんなの手の温もりをお守りに、次の分かれ道をまた元気に進んでいこうと思います。

改めて、島の皆さま、ゲストの皆さま、外崎ファミリー、本当に本当に本当にありがとうございました。

また近いうちに!
いってきます!!

初代 アシスタント もも

追伸
私と姉からの思いを丸っと込めた歌を作りました。イマココに歌詞も置いています。何か一つでも共感して頂けたらとても嬉しいです。いつかこれを読んでくれた誰かと一緒に歌える日が来ますように…

以上、ももちゃんからの言葉でした。

島で見送るということ

島には不思議な魅力があります。
海を渡って島に着くと、時間の流れもどこか違うような感覚になる。
アクセスが悪いが故に、自然がある程度守られた歴史もあるし、気軽には立ち寄れず本気の人しか集まらないなど、メリットもたくさんある。

一方で、島に移住する、というのは色んな意味でハードルが高いと言われています。
たまあに都会に行くと、「もし自分がここで暮らしていて、今いなくなっても誰も気づかないだろうな」と考えることがあるけれど、地方の1人は都会の10人、いや100人に相当するくらいの存在感がある。(都会で自分の存在意義に悩んでいる若者よ、地方はあなたを必要としているよ)だからこそ、島に住んでいた人が、島を去る時、なんとも言えない気持ちになるのです。
それは、見送られる人も、見送る人も。
家族であれば尚更。

奥尻島としても、奥尻ゲストハウスimacocoとしても、ももちゃんがいなくなるということは、とっても大きな穴が開くことは間違いないです。でも、奥尻島のことを「大好きな故郷」と思っている人が、島外にいる。ということは、島に住み続けることと同じだけ尊いことです。

僕たちはももちゃんの新しい道を心から応援するし、これから、「ももちゃん奥尻ウイルス」に感染した旅人と奥尻島で会えることを楽しみにしています。笑 もちろんももちゃんとも!!

3年間、就業時間も業務内容もよくわからない僕たちに全身全霊で付いてきてくれて、本当に有難う!!

ももちゃん、いってらっしゃい!!

PS.「やっぱり奥尻島で暮らすことにします」も全然ウエルカムなので、「見送ってもらっちゃったしな〜。石垣行くって言っちゃったしな〜」に縛られず、心の声に従って住みたい場所に住んでね。笑 とにかく、どこにいても何をしていても家族一同、応援しています!!

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