
日本で「ヨーガ」と言うと、「ポーズ」をとるエクササイズ的なイメージが強いと思いますが、僕が今回、本場インドで学んできた「ヨーガ」とは「心の動きを正しく導くこと」であり「生き方」そのものでした。
そしてそこには「本質」が語られる「哲学」がありました。
一生かけても学びきれない世界ですが、今回の留学で学んだこと、印象的だったこと、個人的な主観も踏まえてまとめてみます。
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ヒンドゥー教は宗教ではなくインド文化

僕たち日本人は「お茶碗に米粒を残したら目が潰れるよ」とか「鶴の恩返しの話」とかは自然と聞いて育ちますよね。そのような感じでインドに根付いていた文化をイギリスが侵略した時に「宗教」として呼んだことで今に至るのだそうです。(アイヌ文化もアイヌ教とは言わない感じに似ているのかな?)
そのインド文化の根源となっている聖典は『ヴェーダ』と呼ばれるもので、修行を重ねた聖者たちによって宇宙の真理が書かれたものです。
真理とは不変の法則。例えば物を落とせば下に落ちる重力も一つの真理。生きる目的、生きる上での智慧などが何千年も前に書かれているのです。
全てを信じるかどうかは置いておいて、僕が感激したのは、「感覚器官からや、物質的なものから得る幸せは全て『来ては去るもの=Happiness』であるから、そこに執着していては『永遠の幸せ=Bliss』を手にすることはできない」ということを、100均もブランド品も電化製品もファストフードも無かった大昔にズバッと言っていることです。
そのBlissは、実は全員がすでに達成されているのだけれど、無知のために気づけていない。それを知ることが「ヨーガのゴール」である。というヨーガの壮大さを知ったのでした。(ちなみに自分だと思っている「肉体や心」は実は「本当の自分」ではない。という考えです。これは文章では伝えきれないし、僕もわかったようでわかってないです。本当に理解することが難しいから人生をかけて修行をしているヨギーがいるのです)
人間で生まれてもHappinsesを求めてはいけないの?

次に生まれた疑問はこれでした。
その答えは「求めても良い」というか「まずはHappinessで満たしましょう」でした。
Happinessをたくさん経験した末に、「それらは全て来ては去るもの」ということを深く理解し、「次は永遠の幸せに到達したい」と思った人が、Blissに向かって進んでいく。とのことでした。
僕は、Happinessを歓迎するけれども、「執着し過ぎない。それがなくても幸せに生きていける」というスタンスでこの人生を楽しみ、Happinessを与えられるような存在でありたいと思っています。
努力50%神様50%

僕は「占い」とか、「願掛け」とかは苦手なタイプで、「何かに頼るばかりではなく、まずは自分で努力して人生を切り開いていくことに専念すべきだ」と思っていました。今でもそれは変わらないのですが、この姿勢が傲慢だったと気付かされたのです。
例えば、今回インドに留学をすることを決めたのは僕です。初めてのヨーガでなかなかハードな三週間をやりきったのも僕です。これは自分の努力の部分だと思います。しかし一方で、このタイミングでインドに行けたこと、飛行機が無事に飛んだこと、先生や仲間に出会えたこと、無事に修了して帰って来れたこと、ありとあらゆるサポートを受けられたこと。これらは自分の努力の範疇を超えたものです。この範疇外のことを「神の領域」と言うならば、「努力50%神様50%」で「然るべき結果」が出る。ということです。
つまり、「結果は決められない」のであれば、「ベストを尽くした上で、望んだ結果が出なくても、今はそういう流れだったんだ」と割り切れるし、その結果から学べることが必ずある。(そもそも結果を望まずに、どんな結果も歓迎する姿勢が大切)この「ベストを尽くす」という部分が大事で、努力50%の部分は、自分が努力できるところはやり尽くすこと。そうでなければ結果によって後悔が生まれる。そして神様50%の部分は、ヒンドゥー教の世界だと神に祈る「マントラ」を唱えるのですが、僕はシンプルに、早朝と就寝前の瞑想時に感謝の念を心で唱えることにしています。
自分の努力した分全てが結果に反映される、と勝手に思い込むから、結果がでなければ自分を責めて苦しくなったり、時には相手のせいにまでしたくなる。
逆に、半分は「大いなる流れのおかげ」と思うことで、望む結果が出ても、全て自分の努力の結晶だと思わずに、謙虚さを保つことができる。日本のお陰様の精神です。
神について

ヒンドゥー教には個性豊かで派手な神様がたくさんいます。
「その神々にお祈りを捧げましょう」と急に言われてもなんかしっくりこないタイプなんです。
なんか胡散臭いなーと思ってしまうのです(ごめんなさい)
そこでインドの先生に単刀直入に尋ねてみたら、「結局神は一つ。キリスト教も、イスラム教も、ヒンドゥー教の神々も、神による見えない力の現れの一側面に過ぎない。この空気中に神がいるので祈ってください。と言われてもなかなか難しい。だから「創造の神はブランマージ神、維持の神はヴィシュヌ神、破壊の神はシヴァ神」というように、様々な力の一側面をキャラクター化して、みんなが祈りやすくしているとのことでした。
その視点でアイヌ文化をみてみても、火の神をアペフチカムイ、樹木をシリコロカムイ(大地を司る神)、タンチョウをサロルンカムイ(湿原の神)、ヒグマをキムンカムイ(豊かなる山の神)と呼ぶように、「目に見えない力」の一側面の象徴として名前をつけてお祈りをしているのかなと思うと、よりアイヌ文化にじわじわと感動してきました。(完全、個人的主観です)
ちなみに、「創造の神=ブランマージ神、維持の神=ヴィシュヌ神、破壊の神=シヴァ神」は三位一体神です。
森社会はこれがわかりやすい。
例えば、破壊(落葉、倒木、分解)→創造(腐葉土、種子、芽生え)→維持(成長、吸水、光合成)と言えます。
どれかが抜け落ちたら、このサイクルは止まります。三位一体です。
僕たちの身体の中でも「破壊→創造→維持→破壊・・・」のサイクルは日々行われています。(肌も毎日同じように見えても、生まれ変わっています)
そういった目には見えない力、不変な力、真理、ありとあらゆる環境に対して、感謝の念を抱きやすくするために、様々な神がこの世にはキャラクター設定されているのだと僕は理解しています。(間違っていたらご指摘ください)
生かされていること、感覚器官が働いてくれていること、周りの環境、全ては当たり前ではなく、奇跡であり、自分の力を超えた感謝の対象。つまり「祈りとは感謝を伝えること」です。
アシュターンガ・ヨーガを実践するための8つのステップ

ヨーガには様々な流派があるが、ほとんどはこの8つのステップ(アシュターンガ・ヨーガ)がベースとなっていて、以下の①〜⑧で何を強調するかで流派の呼び名が変わります。
僕は、③④を強調するハタヨーガを学んできました。
①社会的規則を守ろう
②個人的にやった方がいいこと
③アーサナ(坐法)=安定して長時間坐れる(瞑想できる)身体の準備
→この部分だけを「ヨーガ」と勘違いしている人がほとんど(僕もそうでした)
④調気=呼吸を整えてエネルギーを身体に取り込む
⑤五感の制御(今すべき練習に集中)
⑥心がどこかにいった時に、また集中の対象に意識を戻す
⑦心が一定の時間、特定の対象に留まっていること
⑧自分を知る=ヨガのゴール
これだけ言われてもよくわからないと思いますが、お伝えしたいことは、③だけがヨーガではない。ということです。
でも一方で、肩の力を抜いて、自分が幸せになるためのエッセンスだけを取り入れたらいいと思うので、僕も自分の日常にカスタマイズして活用しようと思っています。
カルマ・ヨーガ=行いのヨーガ

ついつい僕たちは、これが好き、あれが嫌い、得意、不得意でやることを選択します。
確かに、自分の嫌いで苦手なことを毎日行うのはしんどいので、できるだけ自分の好きで得意なことができた方が幸福だと言えると思います。
ただ、生きていたら自分の好きなことだけをやるわけにはいかないし、「消費者」であり続けるわけにはいかない。特に小さいコミュニティに暮らしていると、色んな役回りがきます。時間がないから、嫌だから、苦手だから、という理由で断っていては地域は回りません。自分の価値観は一旦横に置いて、「自分がやるべきなら、やる。しかも神に捧げる気持ちで行う」というのがカルマヨーガです。その行いの結果は、どんな結果も歓迎して受け入れます。
全ての行いは自分に返ってきます。
せっかくなら「良い意図を持った行い」で日々を満たしたいものです。
ヨーガとは心の動きを正しく導くこと

五感を介し外側の魅力的な世界に心が反応して、心があっちこっちに行くのは仕方がないことです。心を海に例えるならば、感覚器官を通して海に吹き込まれた風(刺激)によって波が発生し、海底は見えなくなります。
でも海が穏やかで凪であれば、奥尻ブルーの海底が綺麗に見えるように、心も穏やかであれば、自分の内側にある「自分自身」を知ることができる。
その揺れ動く心をコントロールする練習がヨーガなのです。実に深い!!
距離をとること
今回、子どもが生まれてから初めて、家族と1ヶ月以上離れて、海外へと一人旅をさせてもらいました。(16年ぶり!!)
「明日があると思わなければ、今日が特別になる。家族が愛おしい」と出発時に強く思いました。

1ヶ月ぶりに帰宅して、家族との絆がより一層深まった気がするし、何より自分の意識が変わった。というか、良い意味で生まれ変わろうと強い気持ちで帰国しました。
時には旅をして「日常」から距離を取ることも大切だけれど、頻繁にそうできるわけでもないと思います。そこで便利なのが「瞑想」です。
僕は早朝と就寝前に瞑想をして、普段の「自分の役割」や「当たり前」から距離をとり(心にスペースを作る)、感謝と共に一日をスタートさせ、一日を終える。
それだけで一日の過ごし方が変わっているし、心穏やかに過ごせている実感があります。
「瞑想の習慣」オススメです。
奥尻島はヒマラヤ級だった?!

留学中に、鼻の浄化、肺の浄化、消化器官の浄化など、様々な浄化法を体験してきました。
浄化をして、消化の良い物を食べて、体内に未消化物をできるだけ残さないことで、健康的でヨーガに集中できるとのこと。
きっとどれも大事なのだろうけれど、せっかく長い時間をかけて身体中を浄化しても、住んでいる場所の空気や水、食べ物が悪ければまた汚れてしまいます。
だから本気のヨギー達は世界一高いヒマラヤを目指し、綺麗な空気、水で浄化して修行に励むのだとわかりました。
ということは、僕の暮らしている奥尻島はどうでしょう?
空気、水、食べ物・・・どれも最高だ。しかも潮風というおまけ付き。
鼻の浄化をするときに体内と同じ塩分濃度の塩水で鼻うがいをするし、消化管の浄化は塩水を飲みます。潮風はまさに肺の浄化にピッタリ!実際に奥尻島に移住して息子の喘息が治りました。
ヒマラヤと比べることではないですが、奥尻島は静寂も担保されていて、ヨーガの聖地になるべく場所であると確信することができました。
ネイチャーガイドやヨーガのプロフェッショナルはいますが、両者のプロフェッショナルはなかなかいないと思います。
奥尻島の魅力を最大限活かすためにも、この二刀流を目指したいと思っています。

ちなみに瞑想は自然環境と相性が良いです。
どうしても雑踏とした環境だと、そこに気が引っ張られてしまいます。「渋滞だけど間に合うかな」とか、「サイレンが鳴っているけど大丈夫かな」とか、「新しいお店ができたようだけど気になるな」とか、思考は止まらない。そんな類の刺激の少ない自然環境では、些細な考え事からも離れられて、一点集中できます。
エビデンスに基づいた「深呼吸」

息をおもいっきり吐ききった状態で怒ること、できますか?
きっと難しいのではないかと思います。
呼吸と心は繋がっていて、イライラしていたり疲れていると呼吸は浅く速い、心が穏やかだと呼吸は深くゆったりとしているものです。つまり意識的に深くゆったりとした呼吸ができたら、心も穏やかになるということです。
でも「深呼吸」は意識をしないと普段はしていないと思います。
では「深呼吸をしてください」と言っても意外と難しいものです。
意識的にする呼吸には様々な筋肉が関わってきます。
深い呼吸をするために、緩めた方が良い部分、強くした方が良い筋肉、それらを学術的に学びました。
せっかく空気のきれいな癒しのパワースポットである奥尻島に来てくれたゲストに、美味しい空気を最大限身体中に取り込んでもらえるように、サポートできればと思っています。
ネイチャーツアー前に、呼吸が深まるヨーガを。
ツアー後に、内観するヨーガを。
きっとすばらしい時間になると思います。
Yoga is valance.

バガヴァットギータという聖典に「バランスが大事」と書かれています。(なんと僕が掲げた今年の目標!)バランスとは身体的、精神的、様々なことに当てはまると思いますが、アーサナ(ポーズ)を通して気づいたことがありました。
色んな難しいポーズに挑戦したのですが、結局それらは「力」というより「バランス」が大事でした。「力」でなんとかしようとすると、呼吸が止まったり、長くキープできない。でも「重心を支えるポイント」に乗れた時は、力はそんなに必要でなくなり、呼吸も深くリラックスできるのです。また、「相反、押し付け合う力」でも安定します。
つまり「バランスがとれている」ということは、「何かに偏り過ぎず、無駄な力がいらない状態」です。そして最も大事なのは、その「土台が安定していること」が必須条件だということ。
足にしろ、手にしろ、地面に接地している部分の安定が大事。
暮らしに当てはめてみると、「体と心が健康で、生活基盤が安定」していて初めて、偏りを減らしたり、力が抜ける。と言えるのかなと思いました。
そして無駄な力が入っていないからこそ、周りのことを気にかけられたり、突発的な出来事にも冷静に対応できる余力がある。
またリラックスするためには、「動」があって「静」になるから深く癒される。その振り幅が大切です。忙しい日々があるから、のんびりとした休日が幸せ。逆も然り。
「心身のバランスを意識する」ということは「自分と向き合う」時間が必要です。
それがヨーガという生き方なのだと思います。
最後に

もっともっと学んだことはあるのですが、自分が咀嚼しきれていないことや、口頭でなければ説明が難しいことが多々あります。興味のある方は、直接お話しできたら嬉しいです。
少しずつネイチャーヨーガ体験も導入していく予定なので、お楽しみに!
1ヶ月以上も留学に行かせてくれた家族、不在中支えてくださった関係者の皆さんに改めて感謝です。最後までお読みいただき、有難うございました。

番外編
良い意味で自分の価値観、今まで築き上げてきてしまった自分の中の「常識=フレーム」をとことん破壊してくれるインド。笑
それらを一つ一つ紹介していると、とんでもなく長くなってしまうので、雰囲気だけ動画にまとめました。講演会などの機会があれば、その時に詳しくシェアできればと思います。
言葉の壁を超えて、人は通じ合えるし、友情は育める。
出会い、別れるから、友情は深まる。
旅は人の優しさに触れ、自分もそうありたいと思わせてくれるもの。
16年前に感じたことを、再確認できた旅。
そして37歳になったからこそ見えた景色、気づけたことも多々ありました。
とにかく最高だった旅に感謝です!!