5年間という短い教師時代に、「十蔵」と出会えた僕は幸せです。
以下、十蔵が書いてくれた文章をそのまま載せます。
Contents
僕から見た「外崎先生」
生徒に大人気でした。学校行事になると生徒よりも率先して盛り上げようっていう先生でした。それに釣られて生徒達もすごい盛り上がりでした。直接関わりのなかった僕たちの学年でも、外崎先生の授業を受けたいって人はめちゃくちゃ多かったですし、先輩達からの人気も絶大でした。先生の中にも外崎先生には敵わないっていう人もいたくらいです。
出逢い
雄斗さんとの出逢いは、生徒指導室でした。
高校1年の夏に色々あり、1ヶ月の停学処分を受けました。その時はもうこんな学校なんて辞めてやろうと心に誓っていました。しかし、そんな僕の心を変えてくれたのが雄斗さんでした。うな垂れて座っていると勢い良く進路指導室のドアが開き、満面の笑みを浮かべた雄斗さんが入ってきました。第一声で「俺、怒る気なんて微塵もないから。楽しい話しようよ」と。そこから自身のバックパッカーで巡った国の話や、何を大切にしてこれまで生きてきたかなど色んな話をしてくれました。
その時、「夢はないの?」と投げかけられた質問に僕は何も答えられませんでした。すると、「俺は近々教師を辞めてゲストハウスをやるという夢を叶えようと思う。」と打ち明けられました。そんな超絶なカミングアウトを前に度肝を抜かれていると、「俺がその夢を叶えたら探し出して会いに来てよ、日本のどこでやるかも決まってないし、海外かもしれない。その時にまた、今日の話の続きをしよう」と手を差し出され、気がついた時には雄斗さんの手を強く握っていました。
そこから生活態度を改めるようになり一年が終わろうとしていた時、1学年全クラスが集められ、英語の特別授業が開かれました。
なんと講師は雄斗さんでした。唯一関わりのなかった僕たちの学年を体育館に集めて、教師最後の授業を特別にしてくれました。
自分がバックパッカーでの旅で経験したこと、そこで学んだこと、人との関わりの大切さ。その中で僕が1番心に響いた言葉があります。それは、「一歩踏み出す勇気」という言葉でした。何かをする時に色々と考えたり、周りを気にして行動を起こすのではなくて、自分の心が思うままに生きる大切さを教えてくれました。この言葉があったからこそ、今の自分があると思っています。
授業の最後にはam08:59という歌を弾き語りしてくれて、皆んなへ歌を通してメッセージを伝えてくれました。
それから月日は流れて僕も高校3年になった頃、どうしても雄斗さんが最後に聴かせてくれた歌が忘れられなくて、その曲で友達と学祭で弾き語りをしました。それを何とか雄斗さんに見て欲しくて、連絡先を先輩から教えてもらい送りました。
そんなこともありながら最後の高校生活を送っていると、ある日先輩から「外崎先生、奥尻島っていう島でゲストハウスをオープンしたらしいよ」と聞き、調べるとそこには家族と一緒に写る雄斗さんの姿がありました。
本当に夢を叶えた雄斗さんの姿を見て、あの時の約束を覚えていても覚えていなくても会いに行くしかないと思いました。
しかし、高校生だった僕にはお金もなく会いに行ける手段がありませんでした。
高校を卒業して大学へ進学した僕は、夏休みを使って雄斗さんに会いに行こうと計画を立てimacocoのホームページを見ていると、大学生ボランティアを受け入れると書かれた記事を目にしました。これで行ったら絶対面白いと思いその日のうちに応募しました。
再会
再会の日、緊張とワクワクで奥尻島に降り立つとそこには2年半ぶりの雄斗さんの姿がありました。笑顔でハグをしてくれて、「よく来てくれたね、最高だよ」と声をかけてくれました。スタートの時点では泣かないぞと決めていたので何とか涙を抑えながらの再会でした(笑)そこからimacocoに移動して、顔も知らない全国から集まった仲間たちと合流して9泊10日の奥尻島ボランティアがスタートしました。奥尻島ボランティアの一期生だった僕たちに雄斗さんは、「俺もまだ何をやっていいか分からない。手探りの状態だけど、この奥尻島を好きになってもらえるように頑張るから、9泊10日を皆んなで走り切ろう」と言ってくれた。海岸清掃、神威脇温泉のお手伝い、奥尻ワイナリーのお手伝い、民族資料館のお手伝い、島民の皆様との交流、imacoco のお手伝いと、津波館見学、海のアクティビティ、全日程を通して島を知る機会を雄斗さんが作ってくれました。どれもが僕たちにとっては非日常で、今まで触れることのなかった島の日常に圧倒されたのを今でも覚えています。
雄斗さんも島に来たばかりだったにも関わらず、島民の皆さんに溶け込んでいて流石だなと思いました。でも、その中にもきっと不安なことも沢山あったと思います。大学生を受け入れるということ、島民の方々との交流のこと、ボランティア内容のこと、自分自身の仕事のこと。全部を1人で背負いながら挑戦している姿は、心配でもあり、カッコ良くもありました。雄斗さんのおかげもあり、全員が笑って、泣いて、楽しんでボランティアを終えることができました。
奥尻ワイナリーとの出会い
このボランティアを通して自分の人生を変える出逢いがもう一つありました。ワイナリーのお手伝いに行った際、案内してくれたのが今の僕の上司である菅川さんでした。
菅川さんはワインに触れたことのない僕たちにも分かりやすく丁寧に1からワインの知識を教えてくれて、皆んな真剣に聞いていました。島でのワイン作りをすることの大変さや、仕事の内容を聞いているうちに、「ここで働きたい」と思う自分がいました。1日を通してワイナリーのお手伝いをしていく中でその想いは大きくなっていき、どうしても我慢できなくなった僕は雄斗さんから菅川さんの連絡先を聞き、直談判しに行こうと心に決めていました。
これも本当に偶然だと思うのですが、僕が奥尻島から帰る日に菅川さんもフェリーで出張から帰ってくるとことが判明し、ここだと思いフェリーを降りて直談判しに菅川さんの元へ走って行きました。「大学を辞める覚悟はできてます。辞めたらワイナリーで働かせてくれませんか?」と言うと、「大学4年間も貴重な時間だから辞めなくていい、もし本当に気持ちが変わらず就活の時期になってもその想いがあるなら連絡してきてくれ」と言われました。どうしても諦めきれなかった僕はその想いを抱いたまま、大学3年の就活を迎えることになりました。皆んなが就活をしていく中で、奥尻ワイナリーにしか興味がなかった僕はまた、菅川さんに連絡しました。「あの時のこと覚えてますか?気持ちは変わらないです」と連絡をすると、菅川さんは当時のことを覚えていてくれました。そこから話は進み、面接をして頂けることになりました。
奥尻ワイナリーの面接
雄斗さんには何も言わずに、休みを使って奥尻島に行くことだけを伝えて、面接のため2回目の奥尻島へ向かいました。
imacoco に着くと、ちょうど大学生ボランティアの子達と雄斗さんの奥さんのかなさんが出迎えてくれました。すると、「名前書きなよ!乾いちゃうから!」と言われ、何も分からずまだ固まっていないコンクリートに自分の名前を彫りました。雄斗さんと久しぶりの再会を果たし話を聞くと、もう使われなくなった建物をリノベして多目的シェアハウスを制作している途中で、制作に携わった大学生たちとimacoco ファミリーの名前をコンクリートに刻んでいる過程に偶然遭遇して、僕もちゃっかり書かせてもらいました(笑)
その夜、雄斗さんと雄斗さんの同級生である良介さんと3人で飲むことになりました。
そこで、今回来た理由がワイナリーの面接であることを初めて打ち明けました。雄斗さんはビックリし過ぎて固まり、良介さんはめちゃくちゃ笑っていました(笑)
その後すぐに喜んでくれて、「絶対受かるよ、大丈夫だよ」と声をかけてくれました。
次の日、ワイナリーで面接を終えて無事内定を頂き、imacocoで皆んなから温かい言葉をかけて頂きました。
シェアハウスcocokaraに移住
そして、大学を3月に卒業し、とうとう奥尻島へ。内定をもらった大学3年のときに、島に移住したらシェアハウスに住ませて頂けることになっていたので、大学4年間暮らした家の家具と部屋を後輩に全て譲り、必要最低限の物だけを持って島に来ました。
移住する前に3回島に来ていたのでimacocoファミリーやシェアハウスの住人たちとは顔見知りの状態でスタートできたことが自分の中では凄く大きかったです。不安もありましたが1週間もすれば不安な気持ちは無くなっていました。島に来てからも、ボランティアでお世話になった島民やimacocoを通して仲良くなった方々もいたので島の生活にはすぐ慣れました。雄斗さんがボランティアの時から地域の人たちと繋げてくれたおかげでスムーズに社会人生活をスタートする事ができ、感謝してもしきれません。
奥尻島(神威脇)での暮らし
神威脇での生活を一言で表すと「癒し」でした。日常にある風景が、都会にいたら車を数時間走らせないと見られないような景色が、すぐ目の前に広がっていました。
仕事から帰ってきて、自分の部屋の窓からは、海と夕陽が毎日見られました。休みの日になると雄斗さんのお子さんたちが部屋に遊びに来て一緒に映画を見たり、海で遊んだりもしました。子供が大好きなので少し疲れたなと思った時は、自分から子供たちの方に行って癒されていました(笑)
そして、imacoco に宿泊されているゲストさんとも仲良くさせて頂いたり、たくさんの友達ができました。また来年も遊びに来るから飲もうよと誘ってくれる人たちもいたり、次は俺たちが住んでる場所に遊びにおいでよと言って頂いたりと、これからの人生で大切にしたい島外の仲間もたくさん増えました。
こうした出会いや日常がたくさん詰まっている場所が神威脇の魅力だと僕は思っています。
青苗地区へ引っ越し、これからの豊富
今はシェアハウスを出て、会社の社宅に暮らしています。みんながいない生活はどこか寂しさもありますが、青苗でも会社の人や地域の方々に良くして頂き楽しく生活しています。まだ働き始めたばかりですが、いつかは雄斗さんや菅川さんみたいに奥尻島の魅力を余す所なく伝えられる人になりたいと僕も思っています。もちろん、ワイナリーでも一人前になれるように今は目の前にあるものを全力で取り組んでいこうと思っています。
僕の姿を見て、少しでも奥尻島に移住してみたいなっていう方が増えるように頑張りたいです!
最後に
以上、十蔵からの熱いメッセージでした。
仕事の都合もあり、青苗地区に引っ越しした十蔵ですが、僕は十蔵が楽しく暮らしてくれていたらそれ以上何も言うことはありません。僕は奥尻島への移住のハードルを限りなく下げ、「ココカラ何か始まればいい」と願って、「多目的シェアハウスcocokara」と名付けています。元住民のアッキーさんも青苗地区で民宿を始めようしています。嬉しいことです。
釧路から遠路はるばる奥尻島まで足を運んでくれたお母さん、十蔵と3人で乾杯できたときは泣きそうでした。十蔵の奥尻Lifeがより良いものになるように、陰ながらサポートできればと思っています。みなさんも十蔵に会いに、奥尻島へお越しください。一生懸命ワイン作りをしています!