
先日、「ヴィパッサナー瞑想10日間コース」に参加してきました。
瞑想方法などの詳細については、認定を受けた先生から学ぶ必要があるので、ここでは記載しませんが、そもそもヴィパッサナー瞑想とは何なのか、参加して得た学びや気づきを整理したいと思います。
Contents
ヴィパッサナーとは?

「マインドフルネス」という言葉は、実はこの「ヴィパッサナー」が由縁。
パーリー語(古代インドの言語)で「物事をありのままに観察する」ことを指します。この「ヴィパッサナー瞑想」の実践方法を、わかりやすく世に広めたのがブッダです。
インドやブッダと聞いて「宗教」を連想してしまう方もいるため、その宗教性を排除するために、マインドフルネスという言葉が生まれました。
※僕が学んだマインドフルネスについてはこちら
※ブッダ自身は「仏教を世に広めたい」とは微塵も思っておらず、この「宇宙の真理=自然の法」の実践方法を伝えることに生涯を捧げ、誰がどの宗教を信仰していても、ブッダには関係なかったのです。ブッダは、「ただ祈るだけ」「儀式をするだけ」「知るだけ」では救われることはなく、「実践」を通して自ら知ることの重要性を説いています。
「物事をありのままに観察する」とは?

僕たちは、毎瞬毎瞬の出来事に対して、無意識的に「快・不快・どちらでもない」と高速で分類しています。
例えば「雪」。
ウインタースポーツの好きな人にとっては「快」。
毎日雪かきが億劫だと腰を痛めている人にとっては「不快」。
なんとも思っていない人もいるでしょう。
「快」というメガネを作り上げると、それを求めるようになります。しかし、それらはどこまで求めても満たされることはありません。そして、手に入らないと「渇望」が生まれ、苦しみます。
「不快」というメガネを作り上げると、それを避けるようになります。でも完全に避けることはできないので、その現象に出会うたびに「嫌悪」が生まれ、苦しみます。
「快でも不快でも、どちらでもない」メガネも作ることで、その事象を相手にせず、「快・不快」に心を集中させます。
事実「雪」そのものには快も不快もなく、ただただ「生じては消えていく」という性質があるだけです。実はこの「生じては消えていく」という万物の法則に対して、「快や不快の判断を入れずに、ただ観察する」ということが「物事をありのままに観察する」ということです。
知恵と智慧

「人間も自然の一部」そんな言葉を耳にしたこともあると思います。
自然界で起こっていることは、身体の中でも起こっています。
例えば、一番わかりやすいのは「呼吸」。
僕たちは「呼吸」をしてエネルギーを得ています。
生きとし生けるもので「呼吸」をしていないものはいません。
もっと言うと、僕たちは樹木と呼吸を通して相互依存し繋がっています。
では、例えば「岩」という無機質な自然と身体の共通点は何か。
それは「無常」という性質。
僕は、奥尻島にある、「屏風立岩」という奇岩がカッコよくて大好きです。
毎日見て「今日も変わらずカッコ良い」と思いがちですが、風や波などにより、風化し、形を変え、確実に消滅に向かって進んでいます。
僕たちはどうでしょう。
毎朝家族に「おはよう」と声をかけ、「今日も変わらず生きている」と思いがちですが、髪も伸びていれば、肌も入れ替わり(あらゆる細胞が変化している)、確実に死に向かって進んでいます。昨日の自分と今日の自分は別人です。
自然も身体も一瞬一瞬変化し続けています。
「生じては、滅する」
これは「宇宙の真理=自然の法」です。

「そんなこと言われなくてもわかってる」と頭では理解できます。
でも、ここからが大きな学びだったのですが、知恵には3種類あります。
①他人からの知恵(本や講話など)
②自分で考えた知恵
③自分の身体で直接的に体験して得た「智慧」
本当に「宇宙の真理=自然の法」を理解し、言動が変容するためには、③の「智慧」が必要なのです。
『不変で固定されたものなど何一つとして存在せず、全ては「生じては滅する」という「プロセス」でしかない』という自然の真理を、『自分の身体という「自然」を通した実体験』によって気付いていくのです。自分の身体で直接体験したことは真実です。
実際に、長時間瞑想をしていて足の痛みが限界でしたが、じっとその痛みを客観的に観察していると、急に痛みから解放され、「その痛みすらもいつまでも続くわけではない」という体験をしました。
ちなみに、心と身体が共にあると痛みは増幅、心が離れると、身体だけの痛みになります。
(かすり傷で泣いている子どもに、アンパンマンの絆創膏を貼ると泣き止む現象が近いですかね)
話だけ聞いて「理解(知恵)」したことと、実体験を通して「真理を理解(智慧)」したことには、大きな隔たりがあることを学びました。
それを「観光」に当てはめてみましょう。
例えば、奥尻島に興味を持ち、奥尻島に関する知識や情報に触れるのは、家でもできます。
家で本を読み、ネットサーフィンをして、それらを元に自分で考え、想像を膨らまし、考えを述べることもできます。
いつどこにいても、地球の反対のことでさえも「知った気」になれる時代です。
でも奥尻島の自然に触れ、島民に出会い、五感を通して直接的に体験したことのみが「ホンモノ」です。
僕はネイチャーガイドとして、自分の実体験を大切にしたいし、参加者自身の実体験を促すツアーを目指したいと改めて感じました。
※先日、国交相の事業で『ガイド利用の魅力を伝える企画』にて、TEAM NACS 森崎博之さんのガイド役を務めました。8分程の動画ですので、ぜひご覧ください。感覚はないのではなく、感じ取れていない

ヴィパッサナー瞑想では、「自分の身体の感覚を、ありのまま、客観的に観察していく」のですが、これがとても難しい。詳しくは書きませんが、最初の3日間は身体を観察していくために必須となる「集中力」を養うトレーニングをします。
ひたすら「鼻腔を通る呼吸の感覚」を感じ続けます。
あたかも鼻腔に「門番」がいて、一つの呼吸、一つの感覚も見逃さないように。
これ、やってみたらわかりますが、全く感覚がわからないのです。
感覚がわからなすぎて、やり方として間違っているのはわかっていましたが、鼻息を強くしてみたり、口の角度を変えてみたりしたくらいです。笑
しかし、3日間も朝から晩まで練習していると、「あれ、感覚がある!」となってきます。
「感覚が存在していなかった」のではなく、「感じ取る集中力(気づき)がなかった」のです。
つまり、僕たちは「集中力(意識)」が足りないため、全身に感覚があるにも関わらず、1%も感じられていないということです。
少しでも感じ取るためのコツは、3つ。
①とにかく動かないこと
座っていても、立っていても、とにかくピタッと止まる。
そうすることで、自分の鼓動が聞こえてきたり、呼吸を観察できたり、頬を伝う風の温度や強弱に気付けたり、五感が研ぎ澄まされていくことを感じると思います。
②意識を向ける範囲を狭めること
例えば、森を歩くときに、身体全体の感覚を一気に感じようとするのではなく、「足の裏だけ」「顔面だけ」「右の指先だけ」などと、範囲を限定して意識を巡らせてみる。
そうすることで、今まで感じられなかった微細な感覚に気づくことができると思います。
③呼吸に気づくこと
あちこちに彷徨っている心を呼び戻すには「呼吸」が一番便利です。
しかし、「呼吸に気付こう!」ということをすぐ忘れてしまうのが人間。
だからこそ、習慣的な「瞑想=心の筋トレ」が効果的です。
瞑想は「気付き」を育む時間です。
過去の経験(先入観)を今に持ち込むと、「本当の今の感覚」を感じられない。
未来の結果(願望)を今に持ち込むと、100%は再現されない現実とのギャップに負の感情が生まれる。
「今」をコントロールしようとせず、ありのままの「今」をマインドフルに生きることで、五感が研ぎ澄まされ、感動も大きくなるのです。

マルチタスク vs ユニタスク

「マルチタスクをしている人がデキる人!!」的な風潮があるような気がしていますが、一つのことに全集中する「ユニタスク」の方が断然難しいです。試しに、おにぎりを一つ食べ終わるまで、おにぎりを食べていることだけに集中してみてください。自分の心が、いかにおしゃべりで、落ち着きがないのか、愕然とするはずです。笑
歩くときは、歩くことに、
止まるときは、止まることに、
話すときは、話すことに、
聴くときは、聴くことに、
嗅ぐときは、嗅ぐことに、
触れるときは、触れることに、
食べるときは、食べることに、
観るときは、観ることに、集中する。
僕たちは日常生活で、一つのことに集中しているようで集中しておらず、拍車をかけるようにスマホが僕たちの注意を逸らし続けます。
つまり、「心、今此処にあらず」で「生きているようで、生きていない」状態です。
このリハビリには、少しの知識と、練習が必要になります。
それらを、奥尻島の雑念の少ない、自然豊かなフィールドで、楽しみながら実践し、日々がより豊かになるお手伝いができれば素敵だと思っています。
アーサナの意味

ちょっと脱線しますが、インドへのヨガ留学で、アーサナ(ヨガのポーズ)やプラーナヤーマ(呼吸法)を学びましたが、それらは長時間「止まる」、つまり「瞑想」しやすくすることだと言うことが、頭では理解していましたが、実体験を通して確認できました。
「止まる」ことで五感が研ぎ澄まされるので、自然体験とも相性が良いです。
マインドフルネス vs ヴィパッサナー

マインドフルネスでは、「注意深く、無意識なことにも気づき、心穏やかに、今此処に集中している状態」つまり、五感が研ぎ澄まされて、感度が増します。僕はマインドフルネスを学んで、水を一口飲むのも幸せに感じられるようになりました。
ヴィパッサナーでは「感覚に快や不快で反応せず、生じては滅するという真理を理解しながら、平静に客観的に観察」します。つまり目の前の事象に、一喜一憂することなく生きていく術です。もっと言うと、「Hapiness=来ては去る幸せ」に反応せずに「Bliss=永遠の至福」に向けて修行を積む、といったところでしょうか。
両者には若干の矛盾を感じましたが、これは、矛盾なのではなく、「段階」の話なのだと思っています。インド留学の気づきでも書きましたが、まずは「Hapiness=来ては去る幸せ」で自分を満たしていく。でも突き詰めていくと、結局それらでは究極に満たされることはないと悟った人が、「Bliss=永遠の至福」に向けて、ヴィパッサナーの修行に入っていくのではないかと思っています。
つまり、マインドフルネスはHappinessを追求する入り口であり、Blissに進んでいく時の強力な武器(集中力、気づき、平静さ)となるのだと思っています。
マインドフルネスでは、よく人生を川に例えます。
思考や、喜怒哀楽を乗せた「たらい」が次々に上流から流れてくるとしたら、そのたらいに自分も乗り込むのではなく、河岸から俯瞰していることが大切です。
マインドフルに五感を鋭くして、日々、感覚器官からの喜びを最大限に享受して生きていく。
でもそれらを楽しみながらも、「それらもいずれ去るものだ」と、河岸から俯瞰することで「執着」や「渇望」という濁流に飲み込まれないようにすることが大事。
一方で、「不快なこと」が起こっても、それらの「たらい」から即降りて、河岸に座り、「それらもいずれ去るものだ」と、淡々とやるべきことに集中し、過ぎ去るのを俯瞰することで「嫌悪」を生まない。
このように、マインドフルネスのスキルを、都合よく使えたらいいなと思っています。笑
まとめ

ちょっと小難しい話をしてしまいました。
つまるところ、一番お伝えしたいことは、
「全ては永遠ではなく、儚いからこそ、今が尊くもあり、心配ご無用。だから今此処をもっと生きたい」
ということです。
屋号にもあるように「今」すでに「此処」にある奇跡を、最大限味わえるように、自分自身も日々マインドフルに暮らし、それらのエッセンスをお伝えできるように精進していきたいと思っています。
※奥尻島はマインドフルネスの練習(リトリート)には素晴らしい環境です。そのことが世界にも発信されました。(JAL・ANA全国際線で放映)長文を読んでいただき、有難うございました。





