自然保護という考えはない。そもそも破壊するようなことはしない。
『カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム』
(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)
この言葉にあるように、根本的に自然に対して絶対的にリスペクトしている。
山に入るときは必ず
『カムイノミ』(これから山へお邪魔します。自分たちの必要な分のみいただき、最大限に活用します)
と誓いをたて、自然へ敬意を払いつつ植物を採集に行く。
また彼らは文字を持たないが、口伝えで採集の方法もしっかり親から子へ受け継いでいきます(例えば、キトビロの根を切らないなど)
ちなみに山菜採りは女性や子どもの仕事となっていました。(男性は狩猟や漁労)
植物に対して名前をつけない
正確に言うと、
生活に必要な部分にのみ名称が存在する。一本の木でも部分部分に名がつく
例えば、
『カルンパ=桜の皮』
『シケレペ=キハダの実』(煮詰めて咳止め)
『シケレペニ=キハダの実がなる木』(内皮は胃痛に利用)
また、植物と動物をリンクさせて、『今は何が取れる時期なのかを知る手段』として植物が利用されたケースもあります。
例えば、
『チライアパッポ(イトウ・昇る頃・咲く・花)=福寿草
カムイ(神)とアイヌ(人間)は対等
アイヌ文化で僕が好きなものの一つに
『カムイ(神)とアイヌ(人間)は対等』という世界観があります。
カムイは『植物や動物に変装して自らの姿を人間界への贈り物』とし、遊びに来てくれます。
それをアイヌは有り難くいただきます。
そして感謝の意を込めて、食べ物や酒によっておもてなしをして、その魂をカムイの世界へ送り返します。その時にカムイの世界にはない『お酒、イナウ(カムイはこれを作れない)』をお土産として持たせる。
この儀式で有名なのが『イオマンテ(熊送り)』
こうして手厚くおもてなしをすることで、カムイはまた仮の姿と変装して人間界に遊びに来てくれると信じられている。
カムイもアイヌもWin-Win の関係なのだ。
だからこそ自然に敬意を払っていると
『植物や動物が人を選ぶ』と考えられています。
逆に根こそぎ採取したり、必要以上に乱獲すると、植物や動物は人間界に来てくれなくなります。
今日の私達の自然との関わり方は大丈夫でしょうか?
目先のお金に目がくらみ、後先考えずに飛びついていませんか?
気づいたときには取り返しのつかない状況にならないよう、今一度アイヌの世界観から学べることが多いと僕は思います。