2023年12月1日
imacocoの大家さんが島を出た。
そして宿は僕たちに完全に引き継がれた。
不思議なご縁
そもそも、僕が奥尻島に移住したきっかけは、僕の父親と大家さん(以下みっちゃん)との繋がりが全てです。
父が釣り好きで奥尻島に20年ほど通っていて、その定宿にしていたのが「かきざき民宿(現imacoco)でした。跡継ぎがいない中、父が最後の客となり2017年9月に宿を閉店。そのタイミングでゲストハウスの物件を探していた僕。全ては奇跡のようで必然のような流れでした。それぞれの過去が何か一つでも違っていたら、この瞬間は訪れなかったです。
まず受け入れる、ということ
一番驚くべきことは、「外崎雄斗」という人間と、物件の下見の時にたった二日間しか過ごしていないのに、賃貸することを受け入れてくれたこと。もちろん父親の信頼も加味していたとは思うが、当時は住むところもなかったので、ゲストハウスの客室に家族で暮らすしか選択肢はなかった。つまり「同じ屋根の下でいきなり共同生活をする」ということ。よく受け入れてくれたなぁと今でも思うけど、みっちゃんは「自分でもよく受け入れたと思う。でもこれがきっと縁なんだよね」と言ってくれました。
この時にみっちゃんが受け入れてくれていなければ、imacocoは当然存在していなかったし、素晴らしい出会いや経験、移住者、何もかも生まれていません。
この時点で、感謝してもしきれない。
まず疑ってかかるのではなく、信じてくれたこと。
本当に有り難いことです。
奥尻島の「いろは」を教わる
2018年、知り合いが一人もいなく、本当に何にもかもわからない中で全てが同時スタート。
新生活、起業準備、開業、島留学生の受け入れ、長男の幼稚園入園、などなど記憶にないくらい目まぐるしい日々でした。
特に1年目はみっちゃんにたくさんお世話になりました。
シーツの干し方、枕カバーのかけ方、魚の処理の仕方、郷土料理、地域のこと。
同じ屋根の下で暮らしていたこともあって、子ども達のこともよく気にかけてくれました。
元民宿を自宅に
実は僕たちの現自宅は、震災前の「元民宿かきざき」です。
オープン当初は、長女がまだ1歳で、夜泣きもする状況で、ゲストハウスの一角に住むのは、とても神経の使うことでストレスでもありました。そんな中、倉庫化していた元民宿の空き家を譲ってもらえることになり、セルフリノベーションして、今は居心地の良い自宅となりました。(ネズミ騒動は絶えませんが、、、笑)
今、ストレスなく快適に日々過ごせているのも、みっちゃんのお陰です。
車庫まるごとプレゼント
移住するとき、SUPは3艇しかありませんでしたが、現在はSUPが13艇、カヤックが4艇、電動自転車が8台、ファットバイクが3台、ウエットスーツも30着以上、遊び道具でいっぱいです。これらを収納している倉庫も、快く使わせてくれていました。今このようにアクティビティができているのも、この環境を提供してくれたみっちゃんのお陰です。
島を出ることにした
今年の6月にみっちゃんが突然、
「娘のいる札幌に行くことに決めた。できることなら、ずっといたい。でも足も言うことを効かなくなってきているし、義理の母親も亡くなったのもあって、もういいかなって。」
そう告げられた。
75年以上暮らしてきた島から完全に撤退することの重みを感じながらも、売買契約、そして登記変更と進めていきました。
送別会
みっちゃんが自宅で過ごす最後の日、みんなで送別会を開きました。
本当の孫のように、子ども達と接してくれている姿、もうここでは見られないんだと思うと急に寂しく感じました。
精一杯の気持ちを込めたメッセージカード。
泣いて喜んでくれました。
旅立ちの日
空港までサプライズでお見送り。
次女は幼稚園を休んで、長男と長女も学校を休んで行きたがっていたけど、お手紙で我慢。
みっちゃんの大好きな妻の手作りのパンも添えて。
涙は堪える予定だったんだけど、やっぱり無理でした。
最後にみっちゃんとハグした時に、
「雄斗だから安心してここを去れる。頑張るんだよ!」
涙ながらにそう言ってくれたこと、忘れません。
神威脇を、そしてimacocoを守り育てていく気持ちが更に強くなりました。
みっちゃん本当に有難う。
これからも見守っててね。
一つの時代が終わり、新しい時代が感謝と共に始まりました。