2022年6月より奥尻ゲストハウスimacocoで働くことになった「ももちゃん」。
早速、彼女からいただいた文章を載せますのでご一読ください(^^)

自己紹介

はじめまして、ももこ(ももちゃん)です!
お嬢さま感のない神戸生まれの神戸育ちです。
須磨区の山の方、須磨アルプスの近くで育ちました。

東京の音楽大学を卒業後(あ、お嬢さま感!)
1年は事務職をしていましたが2年目からは中高の音楽教諭として勤務していました。
始めは私立学校で3年。次に小笠原諸島は父島の都立高校で3年。絶対に島の先生になりたいという当時の夢を叶えました。

1歳になる前からひたすら水泳をしてインストラクターのバイトも4年間していたので、地元の人たちは体育教師になったと思っていたと噂で聞きました笑

そして面白い先生にパワーアップしたい。子どもたちが聞いていて面白いって思う話しをする先生になりたい。さらに将来は自分で宿を作りたい。という思いから一旦教職をお休みすることに。
東京都内の北欧アウトドアショップで3年勤務しました。

そこで海での遊びしかしてこなかった私はどっぷり山の世界へ。「遊びが仕事」が口癖の会社に入ったもので、休みなのか仕事なのか全く分からないような毎日。前の晩に閉店してから千葉の海へと車を走らせ、朝イチ海に入ってから昼から開店する…というように毎日毎日とてつもなく忙しかったけど充実の日々でした。

そして2022年6月。縁あってこの度奥尻島に移住してきました。
東から日が昇る。頭の上に太陽がくる。西に日が沈む。この当たり前のサイクルを身体で感じる毎日を与えて頂けることに感謝しかありません。
一昨日よりも昨日、昨日よりも今日、毎日毎日この島が好きだなという思いが膨らんでいます。

自分のことと言えば、冒険が大好きで、国内外問わずバック一個でテント担いで一人でどこでも行きます。アルファ米を忘れずに。寝る場所と米があれば本当にどこでもやっていける私です。

海外はアラスカ、ボリビア、南アフリカ、アイスランドをはじめ北欧諸国、オーストラリアなどなど、ちょっと一癖ある場所が好きです。

とにかく自分で全身で、見て感じたくて思い立ったらどこにでもすぐ行ってしまいます。いわゆる超フッ軽です。

遊びはSUP、素潜り、ダイビング、ウィンドサーフィン、ロードラン、トレイルラン、登山、自転車、スキー、バックカントリースキーなどなど一年中何でもやります。
ぜひオススメの遊びを教えてください^^

奥尻島に、神威脇に来られる方々と、どんなに小さな感動でも一緒に共有できたら嬉しいです。
よろしくお願いします!

奥尻島に訪れた理由

2020年。毎年夏休みは海外へ冒険に行っていましたがコロナ禍真っ只中。特に都内はとても静かでした。
それでも夏休みは変わらずもらえたので、さて今年はどうしようかと考えていました。

しょっちゅう行っている石垣に籠ろうか、でもせっかくだったら普段行かないところ、普段選択肢に入れないところに行こう!
じゃあ北海道にしよう!と思いました。

(父が函館出身だというのに北海道へは数年前に一度来ただけ。しかも20時間くらいしか居なかったのにわざわざ足の指を骨折して帰った笑)

どこの地域でもとにかく離島が大好きな私の検索ワードは「北海道 離島 ゲストハウス」

沢山出てきたゲストハウスの全てのページを開き、オーナーの自己紹介のページを全て読みました。
そしてたどり着いたimacocoのHP。オーナーのページ。わぁ〜このファミリーに会ってみたい!
そう思うのにかかった時間は恐らく3秒ほど。

どうやって行くのか、まずどこの島なのか、どれくらい時間が掛かるのか、何も気にせずとりあえず予約を入れました。

2年も前の話しですが、「ゆうとさんファミリーに会ってみたくて来ました!」と伝えた夕暮れの空気感、翌日に「移住したいんだよね〜」って言ってやってきたアッキーさんと話した時間を鮮明に覚えていて、今、皆んなでここにいることが何だか可笑しくて笑ってしまいそうです。

ももちゃんの歓迎会

移住に至る経緯、想い、抱負

2年前、imacocoで談話していた時、そしておそらくチェックインした日。
ゆうとさんに「うち手伝ってくれない?」と声を掛けてもらいました。
「やりたいです」と、すぐに答えたのをハッキリと覚えています。

もともと、都内は3年だけ過ごして石垣島に移住しようと考えていました。
だけど、即答でそう答えた私。理由は説明できない感覚でした。

だけど今までずっと3年周期で過ごしてきた私。
大半の人もそうだと思うけど私の中でも「3年やれば、経験したと言える」という思いがあります。今すぐにでも都会から逃げ出して移住したかったけど、もう1年働けば3年。行きたいけどあと少しだけ頑張ろうと思い、だけどそんなことはゆうとさんに何も伝えないままついに2021年9月。もうあと半年で3年を迎えるとき。

よし、今期で辞めて奥尻島に行こう!と思いました。だけど、私ははじめに言われたあの瞬間に本気だったけど、もうそう思われていないかもしれない。「私はまだ本気で行こうとしてますがいいですか?」と、この気持ちをLINEではなく直接伝えに行こうと再びimacocoを訪れました。

2年前に初対面の私に声をかけて頂いた驚きと嬉しさ、そして時間が経ってもそのままの想いで受け入れて下さったことが嬉しくて仕方ありません。

これまでの住人の方々が大切に造り、守り続けてきた神威脇地区。そんな想いを大切にしながらも新たな風を吹き込んでいるimacocoファミリーに加わることができ心から感謝です。

今までの生活からすると3年居ることになりますが、ピッタリ3年と決めている訳ではありません。受け入れてくれた島、地区、周りにいる皆さんの何か一つでも役に立てるよう毎日を丁寧に過ごしていこうと思っています。

p.s. 去年私がゆうとさんに決意を伝えに来島してチェックインしたのが9月7日、エコフの子たちがcocokaraをリノベしていて外のコンクリに名前書こうとしてたところだったんです。その時に遠くから見てたところに今住んでるんだなーと不思議な気持ちになります。(詳しくはこちら

石垣島に行くから泊まる、ではなくあそこに泊まりたいから石垣島に行く。と言ってもらえるような宿を作ることです。

石垣島に初めて行った10年前。もちろん初めて行った宿、そこで私もこんな場所を作りたいと思ったのが始まりです。
特別綺麗なホテルの様な設備はない一軒家。全部共用。ギョっとするくらい大きな虫も沢山出る、本当にただの家。でもお母ちゃんみたいなオーナーがその魔法の様な空間を創り上げていました。
今も大切な場所です。

そして早々に石垣移住のつもりだったところで出会ったimacocoに寄り道。だけどそのお陰でずっと考えていたコンセプトを思いつくことができました。

ファミリーがとびきりの笑顔で過ごせる場所。静かな時間の中でファミリーの時間を共有できる場所。
細かいことはもちろんまだ未定ですが、そんなファミリー特化型の宿を作ろうと思っています。

imacocoは次のステージへ

「うちでアシスタントしてくれないかな?」

imacocoがオープンして丸4年。
この4年間で僕がそうゲストに尋ねたのはこの1回のみです。
出会って数時間の彼女に、図々しくもなぜそう伝えたのかは言葉では説明できません。

僕はもちろん本心でのオファーでしたが、その後彼女が僕の言葉を真剣に受け止め、出会って一年後に想いを伝えに来てくれた時には痺れました。

ももちゃんが2020年に初めてimacocoに宿泊してくれたときに、

「どうしてうちに来てくれたの?」と聞いたら、

「元教師で、離島に移住してゲストハウスをやっていて、私の夢を先にやっている人に会いたいと思った」と言ってくれました。

教師としてのマインドも、生き方も、なんだかとてもシンパシーを感じて、ももちゃんの夢を応援したいと強く感じたのを覚えています。

たった一度の出会いが、二度目を迎え、今こうして移住をしてくれて、imacocoでたくさんのゲストを共に迎え入れられることにワクワクしています。

どこにいても何をしていても、みんなから愛されてきたももちゃん。

「何かを辞めるときは惜しまれて辞めさない」
とは僕の恩師の言葉。

ももちゃんが奥尻島に移住するときも当然、会社からもお客さんからも心の底から惜しまれて前職を辞めています。
そんなももちゃんファンの気持ちがわかるからこそ、ももちゃんにとってもimacocoで充実した日々を過ごしてもらえるように至誠を尽くしたいと思っています。

ももちゃんは「アシスタント」という形ではあるけれども、実際は僕たちの方が彼女から学ぶことがたくさんあると思っています。

新生「奥尻ゲストハウスimacoco」に乞うご期待!!

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