入学式の模様

『学校だからこそできること』と『学校でできることの限界』


僕は2012~2017年まで高校の教師をしていた。

最初で最後の卒業担任


『学校だからこそできること』と同時に『学校でできることの限界』を感じていた。

例えば、勉強を教える(僕の場合は英語)、行事を通してみんなで一つのものを作り上げるすばらしさ、出逢い、別れ、時にはケンカをして学ぶこと。これらは『学校』という舞台では相性がいい。


でも腑に落ちないこともいっぱいあった。

頭髪服装検査って必要?!


例えば、頭髪服装検査。自分は『好きにさせてやればいいじゃん派』です。

抑制するから反発したくなる。信じてあげたらいいのに。

もし、『全員金髪でなければならない』という校則があればきっと黒髪ブームがくるだろう。

そんなもんです。しかも『見てくれは派手で最高に優しい友達』が僕にはいっぱいいる。

人は見た目が大事!これもわからなくはないけど、それより中身が大事!って思う。

それは人間に限らず食べ物でもそうだ。


見た目がキレイじゃないと食べない。虫食いなんてもってのほか。見た目が揃っていないと扱いづらいから買わない。味は添加物でごまかせるからこだわらない。
これは現在の日本の食文化の一端だ。


僕はこれを完全否定はしない。僕も含めてその恩恵を受けてきたことは否定できない事実だから。
でも極端すぎるし偏りすぎているのではないかと思う。


あまりにも多くの人が見た目を気にしずぎて中身に目を向けなくなっている気がする。

星の王子さまも言っていた。”大切なものは目には見えない。”って。 byサンテグジュペリ『星の王子さま』


人間性であったり、安全性であったり、野菜本来の味であったり、作り手の想いだったり・・・。


話はちょっと飛躍しましたが、要は見た目で判断する人を育てている気がして僕は違和感を感じていました。僕は英語教育を通して『肌の色や宗教で人間性を決めつけない』と、異文化理解も同時に伝えてきましたが、その逆をやっている気がしてしまいます。


他の例として、『学校に来て友達が目の前にいるにも関わらすスマホと見つめ合って一日が終わる姿』や、『 毎日つまらなそうに過ごしている姿』を見てきてどうにか自分にできることはないかと考えましたが、学校での時間の制約や、学校で決まったことにはある程度合わせなきゃいけないジレンマがあったのです。

『学校』の枠を取り払う


色々試みてはみました。僕が大学時代に結成したバンド『Every Little Something』を釧路へ2回呼んで(勤務地は釧路でした)ライブハウスを貸し切り、無料ライブをして社会人から高校生へメッセージを言葉と行動で伝えたこともあります。

2回目のLIVE


その時の『学校』の枠を取り払って学生と関わる自由さがすごく心地よかったのです。

そうだ、下宿をやろう


そこで僕は『下宿をやりたい』と思うようになりました。自分なりの視点で学生の私生活に関わってみたい。

下宿って一般的に都市部にありますよね?田舎の子が下宿して街の学校に通う。
でも僕の住みたい場所は、海も山もある自然豊かな場所。半ば下宿は諦めていました。


そんな中、『奥尻高校は島留学生を受け入れている』という事実を知り、『僕たちの理想的な環境に暮らせて、下宿もできる』 運命を感じずにはいられませんでした。僕たち家族が奥尻島に移住して3ヶ月後には、見も知らぬ高校生を受け入れ、共に3年間暮らすことに不安はありましたが、受け入れることにしました。

島留学生と保護者

『他人の子を預かる』ということは責任を伴います。

でも結論から言ってしまえば、

『人生に正解はない』というか『全部正解』


と思っているので、究極は『どうなってくれてもいい』んです。いい意味で。逆にこうなるべきだ!と自分の価値観を押し付けるほうが問題な気がします。もちろん最低限、貸している部屋をキレイにしてほしいとか、約束は守ってほしいとかはありますよ。


僕は『奥尻島のしかもイマココではこんなことができるよ』と彼らにチョイスを提供できたらと思います。あとはやりたきゃやるし、やりたくなきゃやらないでしょう。

『出逢いは人生を豊かにする』

と僕は信じています。(だから旅はやめられない)
ココは”交流型ゲストハウス”なので色んなゲストに出逢える機会もあります。


これから3年間、彼らは(うちには2人います)どのように暮らし、何を感じ、何を考え、どう行動していくのか。楽しみです。

彼らの3年間に幸あれ

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