北海道新聞2018.4.5(夕刊)

22歳の頃に抱いた夢。遂にスタートライン

小学校3年生からサッカーを始め、プロサッカー選手になることを夢見て頑張ってきました。

そして高校2年生になり、進路を考え出した。

『人生は一度きり。高校まで精一杯頑張ってプロになれなかったらおもいっきり違うことをしよう!』

と覚悟を決めて高校三年間、全力でサッカーに打ち込みました。

今思えは、プロになる人は何が何でもなってやる!と思うはずなので、この時点で僕はなれなかったのでしょう。

北星学園大学英文科に入学

青いTシャツが僕です(笑)LIVE中

僕は負けず嫌いなので、学年1位をとりたくて定期テストの点数だけはよかったです。(今思えばもったいない勉強の仕方をしていました)

なので大学進学を考える際、指定校推薦でどこへでも行けるポジションでした。

そこで僕が選んだのは『北星学園大学英文学科』

理由は、英語が話せたらかっこいいな。それだけです。

知識をつけるのではなく、点数を取るための勉強しかしていなかったので、英語の授業を英語でやることの多い大学の授業には到底ついていけなく、『どんな宿題を出されたのかもわからない』そんな状況でした。

一年目は中学の参考書からやり直し、一年でなんとか授業についていけるまで力はついてきました。

そしてその時思ったのです。

『なんで英語勉強してるんだ?』

そんなタイミングで大学の親友から思いがけないことを教えてもらいます。

『世界一周できるピースボート』ってのがあるよ。

当時僕はピースボートがなんだかわからなかったけど、『世界一周』というキーワードに衝撃を受け、

絶対やってやる!サッカーに代わる新しい夢が見つかった!!と心ワクワクしたのを今でも覚えています。

京都で人力俥夫をやる

父親に3時間コースをプレゼント

大学2年に上がるタイミングで資金集めのため休学することにします。

どうせ働くなら『今しかできないこと』『経験値となること』『日本のことが学べること』をやりたいと思い、京都で人力俥夫をやることを思いつきます。

そして、研修を受け、学科、実技試験に合格し、晴れて俥夫デビュー。

一人暮らしに始まり、京都のこと、働くこと、そしてコミュニケーション力や写真のスキル、おもてなし、自分の長所、短所などなど新しい発見の連続でした。

一年間で経験値を積みつつ、無事に世界一周への準備金が貯まりました。

いざ出発!!

インドとネパールの国境

韓国からスタートし、インドまで巡りました。

結果、A型肝炎にかかり緊急帰国することになります。笑

道中、世界遺産や数々の絶景を見てきましたが、やはり超えられないモノがあると気付きました。

それは

『人』です。

僕は世界遺産や観光名所は人と出逢うためのツールでしかないとすら思っています。

道に迷うから人に聞く。

同じ目的地だから一緒に旅をする。

お腹が減ったらおいしいお店を聞く、一緒に食べる。

宿を探す、泊まる。そこでまた出逢う。

僕は特に宿で旅人と過ごす時間が好きでした。

どんな旅をしてきたか、これからどこへ向かうのか。

旅人は一度きりの人生に真剣に向き合っている人が多いような気もします。

自分にはない価値観を教えてくれる。すばらしい体験でした。

『出逢いは人生を豊かにする』

そう確信できた旅でした。

そうだ。ゲストハウスをはじめよう!

インドの集中治療室

治療で約半年間安静にしている中で、これからのこと色々考えました。(肝臓の健康状態を示すガンマGTPの数値が5000近くまで上がり、死んでいてもおかしくない状況でした。ちなみに正常値は30以下。100以上で病院へかかりましょう!)

『人生は一度きり。いつ死ぬかわからない』

自分が旅で得たものを提供できる場所を作りたいと思い始めます。

僕の想いを形にできるのは『ゲストハウス』だ。

よし、人力俥夫として縁のある京都でやろう!

※当時付き合っていた彼女も京都にいました。笑 今の妻です。

物件探しをしながらワクワク作戦会議を一人していたのが懐かしいです。

君の経験をぜひ学生に!

僕には恩師がいっぱいいます。

その先生たちに「僕は教師をやる前に京都でゲストハウスを始めます」と挨拶に回ると

みなさん口を揃えて

「順番逆でもいいんじゃない?君は色んな経験をしているし、若いからこそ伝えられるものがある。それでも宿をやりたかったらやればいい。それからでも遅くない。」

確かにな。と腑に落ちた僕は一度教師になることに決めます。(教師も興味ありました)

しかし、すでにリハーサル感覚で受験した教員試験は1秒も勉強していなかったため合格している気がしません。しかも履歴書の長所欄に『スーパーポジティブ』と書くほど真剣ではありませんでした。それが逆によかったのかな。笑

奇跡的に一次試験が受かっていたので、二次試験は緊張感を持って受けてきました。

結果は無事合格

教師生活のスタートです。

教師は最高に楽しかった!

行事は特に燃えました

教師をしていた5年間はここでは書ききれませんが

『9割しんどくて1割がその9割を一発で逆転するほど感動する』

そんな仕事でした。

5年務め、次の転勤先もほぼほぼ決まっていました。

義理のお父さんが体調不良に

妻の実家が福井県でお米を作っています。

義理のお父さんが、心筋梗塞になり手術は成功したもののすぐには現場に復帰できない状況に途方に暮れていました。

僕はその時ちょうど卒業生を出し、タイミング的には動きやすかったのです。

怒られることを覚悟して、妻に恐る恐る相談しました。

ゆうと
仕事やめて福井に行って、お米づくり手伝おうと思うんだけどどう?
えー!!ホントにいいの?嬉しい!!!

 

ゆうと
え?いいの?笑 じゃあ明日校長先生に退職するって言ってくるね。

急遽退職することになり、学校関係者の方々にはご迷惑をおかけしましたが、

そんなこんなで福井に家族で移住することになったのです。

福井では農作業のいろはを見せていただき、勉強になりました。

何より妻の実家で子どもたちと過ごせたことはかけがえのない時間でした。

田植えから収穫までを終え、お父さんも体調が回復し、来シーズンからは頑張れそうとのことなので

僕は昔からの夢であったゲストハウスを開業しようと動き始めます。

これは運命でしかない!!

資金もなかった僕は、帯広の大樹町で地域おこし協力隊をしながら地盤を固め3年計画で宿をオープンさせようと考えていました。

実際に大樹町役場にも行き、現役の地域おこし協力隊にもアドバイスをもらいあとは申し込むところまで進んでいました。

そんな最中、僕の頭に3年前に父親が一度だけ放った言葉が降ってきます。

『昔からお世話になっている奥尻島の民宿のおばちゃんが、3年後に宿を閉めるからあんた継がないかい?』って冗談半分で言われたんだよね〜。笑 俺はやるつもり無いけどさ。

目の前にいた父親に

ゆうと
そういえば、あの奥尻島の話ってどうなったの?
父親
先週行ってきたけど、お父さんが最後の客で宿閉めたみたいだよ。その後のことは何もきまっていないらしい。

ゆうと
え?マジ?!急だけど一回見に行かせてほしい!!

そんなこんなで2018年11月9日

初めての奥尻島。

あまりにも全てが整いすぎていた。

海。

山。

水。

空気。

温泉。

ロケーション。

秘境感。

温かい島民。

心地よい不便さ。

可能性。

『よし、ココでやろう』

覚悟が決まるまで時間はかからなかった。

その2ヶ月後には家族で移住。5ヶ月後にはオープン。

急展開もいいとこだったけど、直感に従い進んできた。

やっとスタートライン。

ここから自分の想いを少しずつ形にしていきます。

一人でも多くの人と

最高でしかない”今ここ”を共有したい。

これから夢の中を生きていきます。

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